名古屋−京都サイクリング 〜失うものがあってはいけない③

②書いてからだいぶ間があいてまった。



サイコンの不調で正確な走行距離はわからないが、たぶん150kmはオーバーしてるはず。家出たのが6時で京都駅に着いたのが16時だから、やはり自分は1時間に15kmしか進めない。20kmとか無理。となると一日200kmはやはりキツイかな。今回けっこう真剣に走ったんだけど。写真も控えてたし。なんでかなー休憩が多過ぎるのかなー。それか純粋に巡航速度が遅いのか。長距離走りたい派だからスピードはいいやって思ってたけど、長距離走りたいならスピードもそれなりに必要なんだ。このことに最近気付いた。



「失うものがあってはいけない」って意味不明な言葉をタイトルに書いてた。この言葉は京都まで走っている途中に自分が思ったこと。何が言いたいかと言うと、サイクリングという行為を通じて失うものがあってはダメだということ。失うものがあったら自分は自転車に乗らなくなってしなうと思うから。この言葉の本当の意味は俺にしかわからんかも。なぜなら俺が上手く言い表すことができんから。
今回のサイクリングで自分はコンデジも落としたし、一眼も地面に落とした。一眼の落ち方はかなりヤバいと思ったけど、今のところは元気にやってる。あと立ちゴケも1回したし、石榑トンネルは恐怖の中歩いて通過したし、足の親指は痺れるし。
自分は「物」をけっこう大事にするから、カメラなんか壊したらかなりショックを受けると思う。というよりかなり萎える。サイクリングなんか行かんけりゃ良かったって思うと思う。もしケガをしても萎える。自転車という趣味は非常に危険な趣味だ、みたいなことをよく耳にするが、立ちゴケにしてもそこに車が気付かずに走ってくれば俺は死んでいた。まぁ歩道で立ちゴケしたんだけど。
轢くか轢かれるかは、ドライバーが決めることであると思う。轢くと決めているドライバーはいないと思うけど、何というか、轢く轢かないの最終的な決定権はドライバーが握っているということを言いたいのだ。だからこちら(自転車)がいかに注意していても車道を走っている限りは轢かれて死ぬ可能性が常にあるということ。もう何言っとるかわからんくなってきた。

とりあえず、何も「物」を失わず、ケガもせず、そして命も失わずに帰って来れて良かった。「物」に関しては代用が利くから良いが、身体・命は1つしかない。おそらく大けがをしたら、自分は自転車に乗らなくなってしまうだろう。乗りたくなくなるかもしれないし、乗りたくても周りが反対するかもしれない。
これからも自転車という趣味を続けていきたいと思っているので、これからも何も失わずにサイクリングから帰って来られれば、良い写真が撮れんくても、速く走れんくても、もう自分はそれでおk。そんなことを今回のサイクリングで思った。



京都みやげ

ショボーン
かわいいから買ってしまった。マジで。とりあえずリュックに付けといた。

次はどこに行こう。8月だからいっぱい乗るぜ!って思ってたけど、意外と乗れてない・・・。