俺はやるぜ? 何を? なにかを・・・

 修論を書き始めなくてはアウツな時期、というより既に書き始めていなければアウツな時期なわけだが、まだ1ページも書いていないのが現状。論文を書くよりも実験を進めていき、研究としての質とか完成度を高めたい派なわけで。



 たまに、●●がやりたくてこの職に就いたのに、やらされる仕事は誰でもできるような仕事ばかり、こんなことがやりたいんじゃない、こんなの私じゃなくてもできるし、自分にしかできない仕事がしたいのに、ホントに嫌になる、辞めようかしら、的な話を聞く。その人に聞きたい。あなたにしかできないことって何?



俺は
100mを9秒58で走ることができるか。
箱根5区を1時間16分39秒で走ることができるか。
時速100マイルのストレートを投げることができるか。
白鵬と10番やって10勝できるか。
トリプルアクセル跳んできれいに着氷できるか。

俺は
50m7秒台の時点で9秒58は無理だし、
仮にフルカーボンのヒルクライム仕様の最高級のロードバイクでも1時間16分39秒はキツイし、
時速100キロの、プロで言うスローボールが精いっぱいだし、
白鵬と同じ土俵に立てるわけないし、
トークでは華麗にスベッても氷も上ではうまく滑れないし、
そう、全部できない。



 予備校生時代、40代の英語の先生が「君たちは何にでもなれる、なんでもできる」と言っていた。大学に入る前の自分たちは、これから医者を目指すも良し、建築家を目指すも良し、作家を目指すもよし、目指すところに近づくための大学をこれから選べるのはすばらしいことだよ、そんな風に自分はとらえた。



 自分にできることはけっこう限られている。俺はボルトには勝てないし、柏原君にも勝てないし、時速100キロしかでないし、どこの部屋も入れてくれないし、氷の上ではジャンプすらできないけど、いま自分が取り組んでいる研究を、自分なりに、自分しかできないような研究にして、完成させることはできるのではないか。



 自分にしかできないことって案外ない。研究のようなクリエイティブなことを除いて。だから研究職以外の職の人には、自分にしかできないことってほとんどないと思う。ちなみに俺にはない。
 だから自分にしかできない仕事ができないからこの仕事いやーってのはおかしいと思う。その人にしかできない仕事があるってのがその人のパーソナリティなわけではないから。そうだったらたいていの人にパーソナリティはない。Aという仕事はできて、Bという仕事はできなくて、Cという仕事ができて・・・Xという仕事ができる、ということがその人のパーソナリティなのではないか。できることとできないことの組み合わせというか。誰でもできる仕事ばかりだと文句言う人は、そのうち来る「その環境で自分にしかできない仕事」を待つべきだ。仕事を辞めずに。







こんなことを学生の自分は思った。