こんな風に歌えたら

Cocco 強く儚い者たち




歌うまいと思う。
こんな風に歌えたら、こんな風に声が出せたらと。

Coccoとかcharaとか、個性のある女性歌手はかなり重要。自分の中では。代わりの歌手がいないため。

こういうライブ映像だと、プロの歌手でもけっこう音外してるなぁとか思うことが多いんだけど、この動画はほとんど音外してないように聞こえる。細かく聞けば外れているんだろうけど、気にならないレベル。








 一時期、自分はひょっとしたら音痴なのか?という疑問を抱いたことがあった。なぜなら、自分の歌を客観的に聞いたことがないから。気付いてないだけで実は音痴、ということもあり得ると思ったのだ。
 これに関しては様々な意見がある。例えば、自分以外の音痴な人の歌を聞いて、その人のことを音痴だと思ったら、それは自分が音痴でないということの証拠、みたいなことを聞いた。なるほどな、と思った。真に音痴な他の人を音痴だと思うなら、自分は音がとれているということで、自分のことを音痴でないと思うなら音痴ではないということだ。

 それに対し、それだけではただ音が合ってるか外れてるかがわかるだけで、自分の発した声の音が合ってるかはわからないので、音痴でないという証拠にはならない、という意見もある。確かになとは思うものの、そこまで厳密に証明しなくてもと思うので、先の考えがまぁ正しいのでは、と。



 似たような話に、「色」がある。自分に見えている色は他人に見えている(感じている)色と同じなのか、という疑問。考えてもわからないので深くは書くのはやめる。というより上手く書けないし、今書いた文でわかる人はわかって、わからない人は何書いてもわからなそうだし。








 職場で「地上の星」とか「明日があるさ」をよく聞く、いや耳にしているため、そいつらがけっこう頭から離れん。まぁ気分は悪くない。
 音楽というのは、自分の意思とは関係なく入ってくるものだから、それがけっこうやっかいだったり。電車の中でイヤホンとかヘッドホンからの音漏れが・・・みたいな話はよく聞くが、うるさい車内で音漏れみたいな小さい音でいちいち文句言う奴がなんでうるさい車内にいるんだよボケみたいな意見を耳にしたことが、俺の勝手な妄想かもしれんけど、ある。
 自分も音漏れは嫌いで、うるさい車内とか関係なく、あれが嫌がられる理由は、というより自分が音漏れが嫌な理由は「なんでテメーチョイスの曲を公共の場で半ば強制的に聞かされないかんのだカス」だ。
 特にこれといってオチはないです、この話。