文章だけで振り返る2011 (ii)

  • 4月

 震災により採用活動を遅らせる企業が後を絶たず、そんな中、震災前から採用活動を行っていた企業等は4月も採用活動を行っていた。ので就職活動する身としては面接を受ける。18日の午前と午後に最終面接を2つ受けた。この日は昼に大学で健康診断があり、翌年就職する学生は健康診断を受けなくてはならない。強制ではないが、大抵の企業は健康診断書の提出を要求し、外部の病院で受けると余分な出費になるからほぼマストなわけだ。自分は朝一の面接を微妙な手ごたえで終え、その後の人事の人とのやり取りで、君内定出すって言ったらココ入るのどうなのみたいなことを3回くらいニュアンスを変えて聞かれ、素直にどうでしょうねわからないですと答えた後、大学に戻った。このブログにも書いたが、大学に戻って健康診断を受けるために保健室のある建物の外に並んでいる時に鳥の糞が頭やYシャツに落ちてきたのだ。ジャケットは着ていなかったので最悪の事態は免れたのだが気分は急降下。周りにはウン付いたから午後の面接もOK的なことを言われた。そんな状況で、もうひとつの最終面接を受けに行った。自分はその日の最後の面接らしく、そこそこ待たされた。特筆するようなことも聞かれず、というよりもうあんまり覚えていないのだが、無事面接も終わり、帰りのタクシー代をもらいちゃんとタクシーで最寄りの駅に向かった。JRを利用して家に着いたころにはもう辺りは暗く、帰宅後すぐに夕食を食べる準備をしていた。そして食べようとしたその時、激しい震動とともに神携帯(禿の812SH)の控えめな着信ランプが光りだした。相手は午後の面接を受けた企業で、内々定の通知の連絡であった。その場で返事を求められたが重要なことは家族と相談して決めなければならないので、と断り返事を保留した。ホントにウンが付いていたのか。それとも実力なのか。結局この企業には、本命の結果が出る前に返事が欲しいと言われ、チキンな自分はキチンと行くと返事したが、その後すぐに本命の企業から内々定の連絡をいただいたので、やはりチキンな自分は内々定受諾の断りの電話を入れるのがすこぶる怖かったが、電話をかけてみると意外とやさしく、というよりものすごくやさしく、頑張ってくださいと言われ、その電話の向こうの人事の人は面接の時にお世話になった方で、細くなく少し足が太めな20代前半の人だったので、電話を切ってから「すいません好きです」と言いかけてしまった。
 その後ももう一つ内々定の連絡をいただいたが、そこは1週間しか待ってもらえず、複数キープするのはルール違反らしく、また意味もないのですぐお断りした。


  • 5月

 採用活動を遅らせた企業もエントリーシート(ES)の募集期限が迫り、またESを書く日々。4月に何度か面接を受けて面接に自信を持つようになったが、この5月は面接とかほとんどなく、その自信は失われることになった。面接もないので意外と暇で、暇と言うか普通に研究したりして、普通に合コンもしていた。
 25日には、3月に倒れた祖父が亡くなった。割と近い身内の死は初めてだったが、今までなかった分これから先こういう機会が増えると考えると気が重い。孫の中で自分だけ就職先を祖父に報告することができなかったのは残念だ。


  • 6月

 6月1日から採用活動を開始させる企業が多数あり、自分の第一志望の企業もそれにあたる。自分は書類を比較的早く提出していたので面接も早く、まさに初日の1日に面接を受けた。これが最終面接でもある。そして2日後の3日に内々定の連絡をいただいて自分の就職活動が幕を閉じた。
 月の後半には夏の楽しみにつながる飲み会もあり、その飲み会で内々定のお祝いもしてもらった。